レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」は、キリスト教に詳しくない方でも、一度はご覧になったことがあるでしょう。イエス・キリストが弟子たちと共にとった“最後の食事”の場面として広く知られています。
しかし、この有名な晩餐が、実は聖書の「過越祭」だったということをご存じですか?
「最後の晩餐」とは?|一般的な認識と聖書の違い
一般的に「最後の晩餐」と聞くと、イエス様が十字架にかかる前夜、弟子たちと過ごされた別れの食事という印象を持つ方が多いかもしれません。しかし、聖書にはこのように書かれています。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。―マタイによる福音書 26:17 新共同訳
つまりこの食事は、単なる晩餐ではなく、神様が命じられた「過越祭」の食事だったのです。イエス様は弟子たちと共に、ご自分の掟どおりに過越祭を守られました。その中で、パンとぶどう酒を分け与えながら、こう仰いました。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、それを裂いて弟子たちに与え、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われた。 ―マタイによる福音書 26:26 新共同訳
これは、罪が赦されるようにと、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。―マタイによる福音書 26:28 新共同訳
ここでイエス様が示されたのは、「新しい契約」の過越祭です。それは、罪の赦しと永遠の命を与える神様の約束でした。
なぜ今も「過越祭」を守る必要があるのでしょうか?イエス様がご自身の命を懸けて教えてくださった「過越祭」は、現代のキリスト教徒にとっても、変わらず大切な意味を持っています。
多くの教会では、これをもとに「聖餐式」を行っていますが、本来の意味や時期を正しく守っている人は多くありません。イエス様が望まれた信仰の姿に立ち返るには、過越祭を守ることが必要です。それは、イエス様の愛と犠牲に心から応えるための、大切な信仰の実践です。
『最後の晩餐』は一夜限りの出来事ではない
最後の晩餐は、単なる一晩の儀式ではありませんでした。それは、永遠の命を与えるための新しい契約を立てる聖なる瞬間でした。
今を生きる私たちも、その約束にあずかることができる存在です。過越祭を正しく守ることで、神様の愛と契約を心に深く刻んでいくことができます。

コメント
コメントを投稿