スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

クリスマスはイエスの誕生日?それとも太陽神の祝日?

 多くのキリスト教徒は、12月25日をイエス・キリストの誕生日として自然に祝っています。しかし、聖書にはそのような記述は一切ありません。では、この「12月25日」という日付はどこから来たのでしょうか?  この記事では、クリスマスに関するさまざまな資料を参考にしながら、その由来や背景について探っていきます。 12月25日がなぜイエス・キリストの誕生日とされたのか なぜクリスマスは12月25日なのか?背景を探る 多くの研究や文献によると、12月25日はもともと太陽の誕生日として祝われていた日でした。キリスト教がこの日をイエスの誕生日として採用した背景には、ローマ時代の宗教的慣習との関係があります。 ✅ 教会の見解 「ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、『正義の太陽』であるキリストの誕生の日として祝うようになったそうです。」―  カトリック中央協議会 ✅ 歴史的背景 “In the 3rd century, the Roman Empire… celebrated the rebirth of the Unconquered Sun (Sol Invictus) on December 25th. This holiday … followed the popular Roman festival called the Saturnalia (during which people feasted and exchanged gifts).” ― 『 Encyclopædia Britannica』 , “Why Is Christmas in December?”(2017) ✅ メディア報道 「冬至直後の12月25日を、希望の光をもたらしたキリストの誕生日と定めたのだそう。」―  毎日新聞 福岡版(2023年12月23日 朝刊)RKB毎日放送 「それは、小アジアで開かれた公会議『二ケア会議』。当時、ミトラ教が12月25日を太陽の誕生日として祝っており、キリスト教がこれを受け入れたとされる。」― まいどなニュース (2018年12月25日) 他の神々の習慣を真似してもいいのか? このような背景を知ると、12月25日をイエス様の誕生日として祝うことに、少し考えさせら...
最近の投稿

救いの鍵は過越祭にあった―メルキゼデクとイエスの深い関係

「イエス・キリストを信じるだけで救われます。過越祭(すぎこしさい)は関係ありません。」このように考える方も多いかもしれません。ですが、それはイエス様がどのようなお方かを、正しく理解されていないことによる誤解かもしれません。 メルキゼデクとは誰?旧約に登場する特別な祭司 旧約聖書には「メルキゼデク」という祭司が登場します。彼はアブラハムにパンとぶどう酒を持って現れ、神の祝福を与えた特別な存在です。 サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を携えて出てきた。彼は神の祭司であった。 ― 創世記 14:18新共同訳 聖書は、このようなメルキゼデクのような祭司が将来現れることを預言しています。 あなたはメルキゼデクの系譜に従って、とこしえの祭司である。 ― 詩編 110:4 新共同訳 その預言は誰によって成就されたのか?この預言が指しているのは誰でしょうか? 神は、『あなたはメルキゼデクの系譜に従って、とこしえの祭司である』と語られたその方は… メルキゼデクの系譜に従って大祭司とされたのです。 ― ヘブライ人への手紙 5:6–10 新共同訳 それはイエス・キリストです。 メルキゼデクとイエスの共通点 ― パンとぶどう酒の祝福 メルキゼデクがパンとぶどう酒を用いたように、イエス様も同じ方法で祝福をお与えになりました。それがよく知られている「最後の晩餐」、すなわち過越祭の場面だったのです。 取って食べなさい。これはわたしの体である。…これは多くの人のために流される、わたしの契約の血である。 ― マタイによる福音書 26:26–28新共同訳 メルキゼデクとイエス・キリストに共通する、祝福のパンとぶどう酒。 過越祭は救いに必要不可欠な真理 イエス様が メルキゼデクの実体 であるということは、イエス様が授けられた過越祭のパンとぶどう酒が、救いのために不可欠であることを意味します。つまり、過越祭を守ることは、イエス様を信じ、従うための必須条件なのです。 過越祭を軽視することは、イエス様の教えを否定する行為にもなりかねません。 私たちが救われたいと願うなら、イエス様が定められた新しい契約の過越祭を守る必要があります。共に過越祭を守り、メルキゼデクの実体であるイエス様から罪の過越祭を守ることで、救いと天国の祝福が与えられます。

あなたの礼拝日は間違っている?聖書が語る本当の安息日とは

多くのクリスチャンが当たり前のように守っている日曜礼拝。しかし、果たしてこれはイエス・キリストが教えられた福音と一致しているのでしょうか? キリストの福音に含まれる「模範」 イエスは、近づいて来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』 ―マタイによる福音書 28:18-20 新共同訳 イエス様が伝えるように命じられたのは、「イエス様ご自身が命じたことすべて」です。それがすなわち、キリストの福音です。キリストの福音には、教えだけでなく、イエス様が自ら行動で示された模範も含まれます。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。…これらのことを知り、実行するならば、幸いである。 ―ヨハネによる福音書 13:15-17 新共同訳 イエス様の模範を受け継いだ使徒たち この模範を最も忠実に守ったのが、初代教会の使徒たちでした。 わたしがキリストをまねているように、あなたがたもわたしをまねる者になりなさい。 ―コリントの信徒への手紙一 11:1 新共同訳 使徒パウロも、自らがキリストに倣っているように、信徒たちにもその模範に従うよう勧めています。 イエス様も使徒たちも守ったのは「安息日」 では、イエス様は日曜日に礼拝をされたのでしょうか?答えは、NO です。イエス様は土曜日の安息日をご自身の規則として守られたのであり、日曜日に礼拝をされた記録は一切ありません。 使徒たちも同じでした。彼らは毎週土曜日の安息日に礼拝を守っていたのです。 私たちが救われるためにどの道を選ぶべきか 日曜礼拝を続ける人々への警告 では、日曜礼拝を行う人々は、誰の教えに従っているのでしょうか?それは、キリストの福音とは異なる教えではないでしょうか? あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方からこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えてしまったことに、わたしは驚いています。…たとえ、わたしたち自身でも、天使であっても、あなたがたに宣べ伝えた福音に反することを宣べ伝えるなら、神の呪いを受けるべきです。 ―ガラテヤの信徒への手紙 ...

日曜日に礼拝するのは正しいのか?― 聖書が語る“本当の礼拝日”とは

多くの人が「日曜日に礼拝するのが当然」と思っています。多くのクリスチャンにとって、神様への礼拝は「日曜日に行うもの」という認識が一般的です。しかし、本当に聖書には「日曜日に礼拝しなさい」という神様の命令があるのでしょうか? 聖書に“日曜礼拝”の記述はある? 実のところ、聖書のどこを探しても「日曜日に礼拝しなさい」という命令は見つかりません。これは、日曜礼拝を行っているローマ・カトリック教会(※キリスト教の一派)も明言している事実です。 📖 Gibbons, James. The Faith of Our Fathers: A Plain Exposition and Vindication of the Church Founded by Our Lord Jesus Christ. Baltimore: John Murphy Company, 1876. (日本語訳版 :『われわれの父祖たちの信仰』) "You may read the Bible from Genesis to Revelation, and you will not find a single line authorizing the sanctification of Sunday. The Scriptures enforce the religious observance of Saturday, a day which we never sanctify."  キリスト教では、日曜日を「主の日」として特別に過ごすことが大切だとされています。これはキリスト教徒(信者)にとって非常に重要な義務の一つです。しかし、聖書の中には「日曜日を聖なる日として守りなさい」と明確に命じている記述はありません。聖書で定められている「安息日(あんそくび)」は、実は土曜日であり、日曜日ではないのです。 📖 O'Brien, John A. The Faith of Millions: The Credentials of the Catholic Religion. Huntington, Indiana: Our Sunday Visitor, 1938. (日本語訳未存在) "But since Saturday, not Sunday, is specifi...

「母なる神様」は本当に存在する?聖書が語る驚きの真実とは

 多くの人は「父なる神様」を信じていますが、「母なる神様」について語られることはほとんどありません。 この記事では、その存在があまり知られていない理由と、そして聖書に記された“新しい契約”とのつながりについてご紹介します。 「母なる神様」を知らないのは、あなただけではない  「神様を信じていますか?」という質問に「はい」と答える人は、日本にも少なくありません。とはいえ、多くの人が信じているのは「父なる神様」だけです。「母なる神様なんて、聖書に本当に書かれているの?」そう感じるのは、ごく自然なことです。 実は、聖書は母なる神様の存在について語っているだけでなく、なぜその存在に気づかない人が多いのか、その理由まで明らかにしています。 聖書が語る「神を知る方法」―― 鍵は「新しい契約」 聖書には、神様が「神を正しく知ることができる人々」について語った預言が記されています。その代表的な一つが、次のエレミヤ書です。 「見よ、わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ日が来ると、主は言われる。…(中略)…小さい者から大きい者に至るまで、彼らがみな、わたしを知るようになるからだ。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出さないからだ。」―エレミヤ書 31:31-34 新共同訳 この預言では、神様の律法(新しい契約)を心に刻む人々が、神様を直接知るようになると伝えられています。他の誰かから教わるのではなく、自分自身で気づき、理解するようになるというのです。 どの道を選ぶかで、見える世界が変わる 「母なる神様」に気づくための鍵とは? 「母なる神様なんて初めて聞いた」という方も、きっと少なくないでしょう。その理由はとてもシンプルで、「新しい契約」について知らず、それを実践していないからです。 聖書には、「新しい契約を守る人が、神様を正しく知るようになる」との預言があります。この契約に従って初めて、父なる神様だけでなく、母なる神様の存在にも自然と気づくことができるのです。 母なる神様を知るために必要なこと 結局のところ、神様のことを正しく知るためには、ただ「信じている」と言うだけでは十分とは言えません。 大切なのは、神様が約束された「新しい契約の律法」に従って生きること。それこそが、聖書が示す「神様を知る道」であり、母なる神様の存在に気づくための鍵とな...

キリスト教の「安息日」はなぜ今も重要なのか?(2)

 新約聖書においても、「安息日」という言葉は繰り返し登場します。中でも特に注目すべきなのは、イエスご自身が安息日について直接語られた場面です。 イエス様は一度たりとも、「安息日はもはや守らなくてよい」とはおっしゃいませんでした。むしろ安息日に人を癒し、弟子たちの行動を擁護することで、安息日の本来の目的と意義を示されました。 そして何より重要なのは、終末(世の終わり)について語られる中で、イエス様が安息日の重要性を再確認された点です。これは、安息日がイエスの時代を越えて未来においても有効であることを示唆しています。  マタイによる福音書24章20節の意味 あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならないように祈りなさい。 ― マタイによる福音書24:20 この言葉は、イエス様が世の終わり(終末)について弟子たちに語られた中で出てきた重要な警告の一つです。 イエス様は、将来に起こる大きな苦難の時に、安息日に避難しなければならない事態が起きないように前もって祈るべきだと語られました。 なぜなら、安息日は神様の定めた日であり、労働を避け、礼拝と霊的な集中に専念すべき神聖な日だからです。そのような日に、命をかけて逃げなければならない状況は、安息日本来の意義を果たせなくなるからです。 つまりこの言葉は、イエス様が安息日の大切さが終末に至るまで続くことを当然の前提として語られたことを示しています。 「祈りなさい」という言葉の重み イエス様が「祈りなさい」と言われたのは、単なる希望や願望ではなく、確実に起こる未来の出来事に備えるべきであるという強い勧めと理解することができます。 つまり、イエス様ご自身が、未来においても安息日が継続して重要な意味を持つことを当然の前提として語っておられたと読み取れるのです。 このことから、「安息日は旧約時代にだけ必要だったものであり、イエス様の登場以降は無効になった」という考え方には、聖書的な根拠がないことが明らかになります。 安息日は新約時代でも有効なのか? 現代のキリスト教界の一部では、「日曜日が新しい安息日である」と解釈されることがあります。 しかし、新約聖書の中にはそのような変更を明確に示す記述は見られません。むしろ、イエス様の教えや弟子たちの行動からは、安息日が引き続き重要な意味を持っていたことが分かります。 特にマタイによる...

キリスト教の「安息日」はなぜ今も重要なのか?(1)

 「安息日(あんそくび)」とは、キリスト教やユダヤ教で重視されている、神様が定めた休息の日です。この日は人々が労働を休み、神様に礼拝をささげるための特別な日とされています。 しかし、現代の日本ではあまり馴染みのない概念かもしれません。「なぜ土曜日に礼拝するキリスト教徒がいるの?」「日曜日とどう違うの?」と不思議に思った方もいるでしょう。 この疑問を解き明かすためには、まず聖書における安息日の意味とその背景を正しく理解することが重要です。 神様 の命令としての安息日:十戒に記された永遠の約束 聖書の中でも特に有名な教えの一つに「十戒(じっかい)」があります。これは神様が人類に与えた道徳的な指針(モラルの規範)として知られています。 その中の第4番目の戒めが、「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」(出エジプト記20:8)というものです。 興味深いことに、十戒の中で「覚えて(Remember)」という言葉で始まるのはこの戒めだけです。これは、神様が安息日を単なる休みの日ではなく、神と人との契約において特に重要な日と位置づけていることを意味しています。 永遠の約束、安息日 一時的な制度ではなく「永遠のしるし」 神様は安息日を「永遠の契約」「世々にわたって守るべきもの」と明言されました。 これは、わたしとイスラエルの人々との間の永遠のしるしである。主は六日のうちに天と地を造り、七日目に休み、そして息をつかれたからである。 ー 出エジプト記 31:17 わたしはまた、安息日を彼らに与えた。それは、彼らを聖なる者とする主がわたしであることを知らせるしるしである。 ー エゼキエル書20:12 このように、安息日は単なる休日や習慣ではなく、神様がご自身の民を他の民から区別するための“しるし(象徴)”として与えられたものなのです。 なぜ現代の私たちにも関係があるのか? 現代の多くの人にとって、「安息日」は古い宗教的な制度や、ユダヤ教だけに関係する習慣だと思われがちです。 しかし、聖書に基づいて考えると、安息日は決して過去のものではなく、今日でも意味を持つ重要な日であることが分かります。 安息日は、神の創造の記念日であり、神との関係を象徴する永遠の契約の日です。これはユダヤ人だけでなく、神を信じるすべての人々にとって意義のある日とされています。 この記事では、安息日の起源と聖...