明日はどうなるか、誰にもわからない
「洗礼は受けたいけれど、まだ自信がない」
「もう少し聖書を勉強してからでも遅くない」と、思われる方もいるかもしれません。
聖書は “いつか” よりも、“今” を大切にするよう繰り返し教えています。
明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。― 箴言 27:1 新共同訳
この箴言の言葉が示すように、私たちは明日の出来事さえ確実に知ることができない存在です。
イエス様が語られた“愚かな人”のたとえ
「愚か者よ、お前の命は今夜取り上げられる。お前が用意したものは、いったい誰のものになるのか。」― ルカによる福音書 12:20 新共同訳
財産や将来の安心を優先し、魂の救いを後回しにした人に向けて、イエス様は厳しく語られました。神様は、“準備が整ったとき”ではなく、“救いを願うその瞬間”に応じてくださる方なのです。
バプテスマは「そのうちに」ではなく、「今」
聖書には、信じた人がためらわず、すぐに洗礼を受けた場面が繰り返し登場します。
◼️ パウロに出会った人々
人々はこれを聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けた。― 使徒言行録 19:5 新共同訳
◼️ 祈りの場所にいたリディア
彼女もその家族も洗礼を受けた。― 使徒言行録 16:15 新共同訳
ただ学んでいた人々も、真理を聞いたその場で洗礼を受けました。リディアは商人でありながらも、静かに祈っていたその場で真理を受け入れ、すぐに行動に移したのです。
あなたの心が神様に向いているなら、それが神様からのタイミングの合図かもしれません。
あなたの信仰を、今、行動に移してみませんか?
「バプテスマ(洗礼)」は、信仰の完成ではなく、信仰の出発点です。
明日ではなく、“今”。決断するその時に、神様の救いが差し出されているのです。
「洗礼について考えているけれど、まだ迷っている」
そんな方も、疑問や不安、聞いてみたいことがあれば、遠慮なくぜひコメント欄で思いをシェアしてください。
あなたの決断を、心から応援しています。

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