「なぜ人は神様を信じるのか?」
この質問に、すぐに答えられる方は意外と少ないかもしれません。
教会に通い、祈り、聖書を読む。そうした行動の先に、私たちは何を得ようとしているのでしょうか?本記事では、信仰の本当の目的を聖書から探り、それと深く関係している「過越祭(すぎこしさい)」の意味についてご紹介いたします。
救いの約束「過越祭」、神様の祝福が込められた掟
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。―マタイによる福音書 26:17 新共同訳
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、それを裂いて弟子たちに与え、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われた。また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて彼らに渡し、「皆、この杯から飲みなさい」と言われた。これは、罪が赦されるようにと、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。― マタイによる福音書 26:26-28 新共同訳
イエス様は、十字架に犠牲になさった前夜、パンとぶどう酒を与えられながら、私たちのための肉と血だと仰いました。この出来事が有名な「最後の晩餐」ですが、実はこれは聖書の“過越祭”を守る場面なのです。イエス様ご自身が「新しい契約の過越祭」を立てられ、私たちに罪の赦しと永遠の命の約束を残してくださいました。
信仰生活において「過越祭」がなぜ重要なのか?
多くのクリスチャンが信仰生活を送っていますが、過越祭を守ったり、認識している人は非常に少ないのが現実です。しかし、過越祭は単なる儀式ではありません。神様が直接与えてくださった命の契約であり、信仰の本質そのものです。
神様を信じるということは、神様の言葉と約束を大切に守るとのこと。その中でも過越祭は、信仰の目的、永遠の命を得るための、非常に重要な鍵となるのです。

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