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旧約の過越祭と新約の過越祭 ― 変わらない神様の救いの計画、その本質とは

過越祭(すぎこしさい)と聞くと、旧約聖書に登場するユダヤの伝統的な祭りを思い浮かべる方が多いかもしれません。ですが実は、新約聖書にも過越祭ははっきりと記されており、イエス様ご自身もこれを守られました。

それは、今も変わらない神様の大切な掟のひとつなのです。

この記事では、旧約と新約の過越祭を比べながら、神様の救いのご計画が、時代を超えて一貫していることをご一緒に見ていきたいと思います。


旧約の過越祭、なぜ羊の血を塗ったのか?


過越祭の起源は、イスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しんでいた時代にさかのぼります。

神様はモーセを通して民を救おうとされ、最後の災いとして「長子の死」を下されました。そのとき神様は、災いを過ぎ越す“しるし”として、家の門に子羊の血を塗るよう命じられたのです。


その血は、あなたたちのいる家で、あなたたちのためのしるしとなる。血を見たら、わたしはあなたたちを過ぎ越す。―出エジプト記 12:13 新共同訳


この出来事を記念して、神様は毎年この日を過越祭として守るよう命じられました。



新約の過越祭 ― 「契約の血」は誰の血?


旧約の時代、家の門に塗られた子羊の血によって肉体の命が守られたように、新約の時代には、霊の命を守るための新しい過越祭が与えられました。それは、イエス様がご自身の体と血によって立てられた、「新しい契約」の過越祭です。


これは、罪が赦されるようにと、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。―マタイによる福音書 26:28 新共同訳

イエス様は、パンを御自身の体、ぶどう酒を御自身の血として示され、弟子たちとともに、新しい契約の過越祭を守られました。


共通点と違い ― 儀式ではなく「本質」を見よう


旧約と新約の過越祭には、形式こそ異なりますが、その本質は変わりません。ここでは、それぞれの違いと共通点を簡単に見ていきましょう。






■ 犠牲になった存在

旧約:一歳の雄の子羊を屠り、その血によって災いからの守り
新約:イエス様ご自身が犠牲となられ、その血による罪の赦しと永遠の命の約束


■ 過越祭の目的と効果

旧約:肉体の命を災いから守るため
新約:霊の命を罪から救い、永遠の命を与えるため


■ 守り方の違い

旧約:子羊の血を家の門に塗る
新約:イエス様の教えどおり、パンとぶどう酒をいただく


■ 守る対象

旧約:イスラエルの民
新約:イエス様を信じ、神の約束に従うすべての人



神様は、時代ごとに方法を変えられても、「わたしの言葉を信じて行う人を救う」という原則は、変えることなく守り続けてこられました。


今も変わらない神の救い


過越祭は、旧約の時代だけの掟ではありません。イエス様が新約の時代にも守られたように、それは、時代を超えて神様が定められた救いの道なのです。

今を生きる私たちも、聖書に記されたとおりに過越祭を守ることで、神様の愛と救いにあずかる信仰の歩みを始めることができます。


聖書の教えに耳を傾け、イエス様が守られた過越祭を、大切にしてみませんか?
小さな一歩が、永遠の命へとつながる大きな祝福になるかもしれません。




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