新約聖書に載っているイエス様のたとえ話の中には、婚宴を素材にした話が何度も登場します。 前の記事で扱ったマタイによる福音書22章に登場するお話の他に、どんなお話があるのかご紹介いたします。
共観福音書には結婚式を素材にしたお話が7回にわたって計5編程度登場します。一番目は、イエス様が断食に対する教えを下さる時に言及されました。
ファリサイ派の律法学者などの当時の宗教指導者たちが人々に冷遇された税金徴収人と共に食事をする弟子たちを誹謗し、イエス様に向かって弟子たちが断食しないことを非難しました。 するとイエス様は「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」とおっしゃって厳しい忠告を加えました。 予言であり掟でもあるこのたとえ話は、共観福音書のマタイによる福音書(9:15)、マルコによる福音書(2:19-20)、ルカによる福音書(5:34-35)の3冊に全て記録されています。
実は、このたとえ話はイエス様御自分が十字架に犠牲になることを予言したものでした。 物語の中の花婿はイエス様ご自身のことを、招待された客たちはキリスト教徒を指します。 イエス様が十字架に犠牲になられた日は、過越祭の翌日である除酵祭であり、旧約時代の除酵祭はエジプトから脱出した当時の苦難を記憶するために定められたお祭りです。 それで新約時代の初代教会のキリスト教徒たちは、イエス様の教えに従って除酵祭にキリストが受けられた苦しみを覚え、断食を行いました。(使徒言行録20:6)
2番目は、マタイによる福音書25章(25:1-13)に記録された十人の娘の話です。この物語の中で娘たちは、花嫁の付き添い役としてキリスト教徒を象徴しています。 神学者たちはこの話について、花婿であるイエス·キリストの降臨を目を覚まして準備するようにという教訓が含まれているという見解を示しています。
3番目は、ルカによる福音書の12章(12:35-48)に登場する忠実で賢い管理人のお話です。この物語は、十人の娘の物語と同じメッセージを含んでいます。 「婚宴から帰って来て戸をたたく主人」はイエス様を象徴し、「開けようと待っている人」または「僕たち」はキリスト教徒を指しています。
4番目は、ルカによる福音書の14章(14:7-11)に登場する謙遜についてのお話です。 イエス様は婚宴に招待されたら、上席に着いてはならないというたとえと共に「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」という事実的な教えを付け加え、謙遜すべきことを強調しておっしゃいました。
5番目が先に言及したマタイによる福音書22章(22:1-14)に登場する婚宴のお話です。 上に列挙したイエス様のたとえ話の中で、4つの例え話は「婚宴」そのものが中心素材ではありませんが、マタイによる福音書22章の婚宴の話は婚宴と直接関連がある内容で満たされている点で違いがあります。
▶ イエス・キリストの譬え|天国の婚宴 (1)
▶ イエス・キリストの譬え|天国の婚宴 (2)
▶ イエス・キリストの譬え|天国の婚宴 (3)
▶ イエス・キリストの譬え|天国の婚宴 (4)

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