1500年代に入って、 法王ユリウス2世(Julius II)の時、法王の贖宥は他の目的のためにまた登場します。
法王ユリウス2世は即位するやいなや「聖ペトロ大聖堂」の教会建築を命令しました。 そして各地の芸術家らをローマに呼び入れ、バチカン聖堂内部を華やかに飾らせました。 このため、莫大な建築資金が要るしかなかったのです。 法王ユリウス2世に思いついたのは、贖宥状。彼は1506年に希年贖宥のことを宣布し、贖宥状のの販売で得た収益を聖堂建築基金として使いました。
贖宥状の販売は、教皇庁の主要な収入源となりました。 法王ユリウス2世の後任であるレオ10世(Leo.X)は、聖ペトロ大聖堂をリモデリングする莫大な資金を調達するため、ドミニク修道会のある神父、Johann Tetzelに贖宥状の販売を依頼しました。 法王の特命を受けた彼は、地獄の火に苦しむ人々を描いた絵を広げ、贖宥状を販売しながら次のような説教をしました。
皆さんが愛した親戚や友人たちがあなた方に向かって哀願しながら叫ぶ声に耳を傾けてください。 “私たちを哀れみなさい。私たちは恐ろしい苦痛の中に陥っているのに、あなたたちは少ないお金で私たちを救い出すことができるではないか!” 皆さんは彼らを救うすことを望んでいませんか? ··· お父さんが息子に、お母さんが娘に哀願して叫ぶ声に耳を傾けてください。 ··· コインがあなたの両親を救うことができます。 コインが箱の中に落ちる音とともに、彼らの魂が煉獄から抜け出せられます。 皆さんは彼らの魂を楽園に導くことを望んでいませんか? ー『Roland H. Bainton, Here I Stand: A Life of Martin Luther』
多数の資料によると、教会の指導者たちが煉獄の刑罰について具体的に描写して教えたので、当時のカトリック教徒は煉獄を恐れていたと言います。 聖書を持つこともできず、ラテン語で書かれている聖書を読むこともできない信者たちは、教会の指導者の言葉を全面的に頼り、信じるしかなかったのです。 テチェルの説教を聞いたカトリック信者たちは、愛する友人や家族を煉獄の炎の苦痛から救うため、先を争ってお金を払って贖宥状を購入するようになりました。
▶ 贖宥状、カトリック教会のキャッチコピー (1)
▶ 贖宥状、カトリック教会のキャッチコピー (2)
▶ 贖宥状、カトリック教会のキャッチコピー (3)

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