今日、多くの人が十字架を「信仰の象徴」として、当たり前のように受け入れています。教会の屋根の上や祭壇の後ろに立てられているだけでなく、ネックレスやイヤリングなどのアクセサリーとして身につける人も少なくありません。そして中には、十字架そのものに信仰の力があると考えたり、災いから守ってくれる存在のように扱う傾向も見られます。
しかし本来、十字架はイエス様が受けられた苦しみと犠牲を思い起こすきっかけであるべきものです。それを神聖なもの、拝むべき対象として扱うことは、聖書の教えに反しているのです。
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| 十字架そのものが信仰の媒介となってしまう |
この記事では、十字架がどのように崇拝の対象となり、それが信仰においてどのような問題を引き起こすかを見ていきたいと思います。
現代における「十字架崇拝」の問題、十字架をどう受け止めるべきか?
では、私たちは十字架に対してどのような姿勢を持つべきなのでしょうか?
あなたたちはわたしと共に天から語られたのを見た。あなたたちはわたしの傍らに、銀や金の神々を造ってはならない。―出エジプト記 20:23 新共同訳
この言葉は、「人間が造った形あるものを信仰の対象としてはならない」という神様の明確な命令です。たとえそれが神様のことを思って造られたものであっても、形を造り、それに意味を与え、心を向けること自体が、神様の教えから外れてしまうのです。
十字架は、イエス様の犠牲を思い出すきっかけとなることはあります。しかし、それ自体を拝んだり、守ってくれるしるしとして扱うことは避けるべきです。神様が求めておられるのは、「目に見える形」ではなく、「心からの信仰」なのです。
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| 形ではなく、聖書による信仰 |
十字架は、ローマ時代の処刑道具であり呪いの象徴でした。そして初期の教会では使われておらず、歴史の中で象徴化されてきました。聖書は一貫して「形あるもの」を拝むことを禁じています。
信仰とは、「見えるもの」ではなく、神様ご自身に心を向けること。それが神様が本当に望まれる信仰の姿なのです。
あなたは、十字架をどう受け止めていますか?
「形」ではなく、「言葉(聖書)」に信仰の軸を置いてみませんか?
▶ その十字架、本当に必要ですか? (1)
▶ その十字架、本当に必要ですか? (2)
▶ 十字架、それは信仰か偶像か?聖書が語る真実 (1)
▶ 十字架、それは信仰か偶像か?聖書が語る真実 (2)


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