マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」シリーズの記事で、マルティン・ルターが主張した95ヶ条の論題の詳しい内容と解析を載せて頂きました。今回は彼の「95ヶ条の論題」がもたらした宗教的影響(反響)について調べて見たいと思います。
マルティン・ルターが発表した「95ヶ条の論題」はカトリック教会の問題を批判する文書ですが、教会を全面的に否定したり大衆的な反乱を起こすための目的ではありませんでした。 彼は教会の誤った慣行を正すために神学者、聖職者たちとの議論を望んだため、文書をドイツ語ではなく、神学者と聖職者が主に使うラテン語で作成しました。 この意図は文章の原題(Disputatio pro declaratione virtutis indulgentiarum(贖宥状の有効性についての議論))と序文にもよく表れています。
大衆や貴族に広まったマルティン・ルターの思想
では、彼の文書が宗教改革の導火線になった理由は何でしょうか。 当時のヨーロッパは印刷術が発達していく時期を経ていました。 ルターの文書はドイツ語に翻訳され、ドイツ全域とヨーロッパの多くの国に広がり、多くの人々が教会の腐敗に目が覚めるようになりました。 これでマルティン・ルターの思想は神学的議論を越えて大衆にまで広がるようになりました。 教会は彼のの批判に対抗してマルティン・ルターを異端と規定し破門しましたが、このような対応はむしろ彼が提示した教会の問題を浮き彫りにし、彼の支持者らを増やす結果をもたらしました。
当時、ドイツ内の諸侯(中世ヨーロッパの封建制において、王権によって領域の支配を認められ、王から授かった封土を支配する貴族)も普段から教会の権力乱用と不当な税金要求に不満がどんどんたまっていた状況でした。 マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」は、諸侯たちが教会に対抗する名分になり、諸侯がルターを支持することによって単純な宗教的な論争から政治的問題にまで拡張されました。
同時に「信仰に関するすべてのことは教会の権威ではなく、ひたすら聖書に基づいていなければならず、救いは善行や贖宥状の購入ではなく、ひたすら信仰を通じてのみ得られる」という彼の信念はカトリック教会の教理と衝突し、宗教改革の核心思想として位置づけられました。
結局、マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」は社会的、宗教的、政治的状況がかみ合って大衆と国家、ヨーロッパ世界に大きな影響を及ぼし、宗教改革の火種になったのです。
カトリック教会の問題から完全に抜け出すことはできなかったという限界を持っていますが、少なくとも教会の腐敗を指摘し、信仰心の根拠を聖書から探さなければならないという彼の主張は、今も歴史の重要な基点として残って人々に語られています。

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